液酒

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世界に日本酒ほど高度な醸造法をもつ酒はないといわれますが、そのルーツは弥生時代、稲作とともに大陸から米を原料とする発酵酒が伝えられたのが始まりとか。3世紀の魏志倭人伝(ぎしわじんでん)には倭人(わじん)、つまり日本人が酒を好むこと、歌舞飲酒することなどが書かれています。やがて大和朝廷の確立とともに朝廷でも酒がつくられ、神事や祭事に欠かせないものとなりました。10世紀の「延喜式(えんぎしき)」の記述は平安時代に現在とほぼ同じ製法で酒がつくられていたことを教えてくれます。江戸時代になると地域ごとに様々な酒が発達し、製造法も開発され、居酒屋も出現。今日に通じる日本酒のスタイルが出来上がっていきました。

大分の清酒の歩み

焼酎の歴史

焼酎のルーツ

メソポタミアから大陸を横断し、タイを経て琉球、そして九州へ・・・。これが一般的に考えられている焼酎のルーツですが、15世紀頃、当時シャム国といっていたタイとの交流の中で琉球に伝えられた蒸留酒ラオ・ロン(南蛮酒・焼酎、阿刺吉酒(あらきざけ)などとも)が焼酎の前身にあたるようです。中国大陸、東南アジア、インド亜大陸、南方諸島などには阿刺吉酒に音が似ている「アラック」という強い酒が既にあったとも言われています。琉球王朝はなんとかしてこのような蒸留酒を自分たちの手で作りたいと考え、苦心のすえ生まれたのが「泡盛」です。こうして国産焼酎は琉球から薩摩へ伝播。鹿児島県大口市の、郡山八幡神社の神殿の横木の落書きに歴史最古の「焼酎」の二文字が発見されていることから、落書きが書かれた1559年当時、つまり室町時代には焼酎の名で庶民に愛飲されていたことがうかがえます。ちなみに翌年1560年は桶狭間の合戦の年。戦国時代のただなかで、焼酎は人々の酒として、また刀傷の消毒薬としてさらに東へと広まっていきました。

大分の焼酎の歩み

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